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多摩川沿いに住む割と田舎な東京住みのサイクリストのブログ。日々の練習やレースを中心に。

2016年ツールドおきなわ140km 41位

去年念願の100kmをとったレース。

今年は実業団メインで活動していたこともあり、カテゴリはとりあえず140kmに。

周りが140kmを選んでいたのもあったけど、去年で思いは果たしたので、「とりあえず」という表現がぴったり。

 

沖縄向けの練習はロングを数本やっただけ。

あとはレース続きであまり長い距離は走れず、というかその前週に風邪をひいてしまい、沖縄入りしても鼻と喉がまだ完全に治りきらないままというコンディション。

まあ羽地まで行けばあとは何とかなるんじゃないかと。それくらいの心持ち。

 

機材は795にレースピ。正直かなり硬く感じる組み合わせだけど、BORAONEより反応いいから我慢。

タイヤはアタック&フォース。いつもはコンペだけど間に合わず。とりあえず値段帯は同じくらいなのでそんなに悪くないだろうとチョイス。

 

レース当日はシード権があるので普久川ダムの麓までの平坦を走ってアップしたり、のんびり話したりして過ごす。

レースの開始がいよいよ近付いてきたのでスタートの整列に向かおうとすると、スタッフに「今年はシードない」と言い放たれる。

え、ここにきて最後尾スタートかよ、と一瞬焦るが、なんやかんやで最前列で整列できた。

隣は1番ゼッケンのステファノさん。相変わらずでかい。

 

レーススタート。

シード権持ってる人は知り合いばっかだし普久川まで安全に走れた。何故かトンネルでは後方集団から雄叫びが聞こえたけど。

一回目の普久川に入る。だいたい10番手前後をキープ。

何これツラい。いきなりやめたくなる。

でもここで下がるとジリ貧で前に復帰するのも面倒なことになるので我慢。

青木さんが途中で飛び出すもしばらくして集団が吸収。KOMは別の選手が。青木さん調子いいのかなあ。

一回目のピーク後は分岐を左折して奥へ、100kmしか走ったことないので初めてのコース。そういやアップダウンも距離も頭に入れてなかった。

アップダウンが続き、アタックというか2人か1人が先行したり吸収されたりを繰り返す。その度に集団も動くので普久川のダメージが中々抜けない。

先行する選手を追うのはステファノさん。ほとんど引いてた気がする。

 

奥の登りの前で100kmのアンダー39の待機列をパス。

核さんが先頭付近で待機してるのが見えた。やっぱり100kmはちゃんとシードあるじゃん。

奥の登りは結構スロー。おかげでここで回復できた。が、100kmのオーバー40で遅れた人が降ってき始める。

 

海岸線の平坦では2回目の普久川に備えて足を貯める。 と、ここで5、6人ほどの逃げが出る。その中にはヤスさんも入ってるみたいで追わなくていいよと言われて集団の中に。

 

2回目の普久川では大尉が先頭でペースを作ってくれたお陰もあって比較的楽。前との差も少しずつ埋まっていく感じだし順調。

と、思ったらピーク近くの緩い下りでまさひふさんの後輪にハスる。ほとんどピークまでこれて緩くなったことで気を抜いてしまった。 先頭集団2番手だったのでここでコケたら知り合いも含めて大勢巻き込んでしまうので必死に立て直した。

かなり肝を冷やしたがなんとか2回目のピーク。いつの間にか逃げも吸収。

 

補給所では集団から下がって満タンのボトルと交換。 下りではまさひふさんとヤスさんATSくんとでローテしながら下る。 昨日の試走でこのメンバーなら安定して下れることがわかったのでここはスムーズ。ほぼ先頭で下れた。

 

 

学校坂に入る。 速い。苦しい。 でもこれで集団も大分絞れたろうと坂を過ぎて振り返ると、まだ50人ほどはいる。 マジかよ。。。全体的に去年より速いペースらしい。ツラい。。。

しばらくアップダウンが続き、途中で大尉が飛び出していく。 も、しばらくすると集団に戻ってくる。 あ、スプリント賞か。 100kmしか出たことないから山岳賞とかスプリント賞とか疎いんだよな。

しかし、実は二人の逃げが出ていたようで、スプリント賞は別の選手に。

 

進むにつれてだんだん足の攣り兆候が出てきた。 2runもジェルも取っているが、水が足りない。次の補給所で一本満タンのにしても足りなくなる予感しかしない。水を節約しながら進む。

でも集団も逃げを捕まえるべくペースが上がりどんどん苦しくなる。水飲みたい。

もうほとんど集団でローテに入れなくなってくる。

集団ではヤスさんが積極的に前に出て逃げを追う。リザルトでも入賞してたし、強かったなぁ。

 

 

でも集団は中々上手くローテが回らず途中で100kmの逃げにぶち抜かれる。ちょっとして追走集団にも。

あ、多摩ポタジャージだ。佐藤くんだな。核さんは。。。いない。。どうしたんだろう。。。

後から聞いたら佐藤くんのアシストで足を使ってしまって追走集団から脱落したらしい。

 

やっとのこと念願の2回目の補給所に到達。 ここは左にしか補給所がない。 ATSくんに車列に入れてもらい、難なくボトルゲット。すぐさま一気飲み。1本目をデポし、2本目をボトルゲージに納める。

と、なんかアタックかかってるやん。。。 マジかよ、と思いつつ全開で踏みなおす。  一列棒状。中切れがないことを祈り必死に踏む。

アタックが収まり集団のペースが緩む。 これで相当人数絞れただろ、と思うもあんまり減ってない。どうやらブリッジがかかってしまい、集団も追いついてしまった模様。結局ペースも元に戻ってしまい。逃げを思うように追えない展開が続く。個人的にはツラさが増すばかりなので複雑な心境。

 

というか逃げの状況がイマイチよく分からない。モトから情報がほとんど来ないし聞いてもよく分かってないみたいで、タイム差が全然わからない。前からは100kmオーバー40の千切れた選手が降ってくるから余計わからん。

たぶんこの状況も集団のペースが上がらなかった要因だと思った。

210kmはおろか、100kmはちゃんとモトが状況を教えてくれてたらしい。

140kmは何故か扱いが雑な気がした。

 

いよいよ羽地が近くなってきた。水の残量が怪しい。

知り合いの選手のボトルを見回す。あ、飛田さんのボトル余ってそう。

お願いして、ちょっと飲ませてもらう。ほんとはそのままボトルもらいたい。。。

 

そして羽地、ペースが上がる。と、ここで足が攣る。

でもこれに乗らないと何のためにここまできたのか分からない。

構わず思いっきり踏む。攣っても我慢すれば踏めるって誰かが言ってた。

が、激痛で完全にストップ。右の大腿四頭筋がバッキリ攣った。

悲鳴をあげて自転車を降りる。(痛すぎて自力で降りられず人にクリートを外してもらった。。。)

 

痛くても進まなければ。。。何分か休んだ後、バンバン抜かれつつも足を引きずって自転車を押す。なんだこれ。情けない。

もう羽地超えるのなんて不可能だろ、とか考えだす。

 

すると、後ろから懐かしい声が聞こえた。

核さんだ。

100kmアンダー39の追走集団の後に単独で走ってきたらしい。

まさかこの状況で会えるとは。。。さっきまで絶望しかなかったのに、何故か心が落ち着いた。

 

水が足りなくなり、足が攣ったことを伝えるとボトルをくれた。

まだ足が痛いけどちょっとずつ漕ぎ始める。

1人で行くのは絶望的だったけど、核さんがいればなんとかなる。

互いのレース展開を話しながら2人でペースで登る。

 

なんとか前に進めるようになったものの、羽地では応援が辛かった。先頭集団で応援を受けられないことに情けない気持ちになった。

来年は絶対先頭集団で応援を受けると心に誓った。

 

途中で他に千切れた選手が後ろについたりするも下りで千切れていき、羽地を抜けた平坦はずっと2人でローテしながら進んだ。

ジャージもゼッケンの色も違う2人だったが、最後は肩を組んでゴール。

一緒に走ったのは20kmもなかったかな。でもこれだけは良い思い出になった。

 

 

リザルトは41位だった。

他の竹芝メンバー3人は表彰台、入賞、シングルに入っていた。

自分の情けない結果に腹が立つ。

 

敗因は水不足もあったけど、ハッキリ言って練習不足。準備ができてない。

仮に水が足りていたとしても羽地まであんなに余裕がないんじゃ話にならない。

 

今年は実業団を中心にレースばっかだった。強度を上げると体調崩しまくってたし。。。去年は実業団は3つしか出ずにほとんど練習してた気がする。。。

 

 

来年からE1だし、出るレースはロードレースだけにしてちゃんと練習して強くならなければ。

 

まずはオフトレから。計画的に体を作っていこう。

来年に向けてモチベができたことが今回の一番の収穫だった。